降り積もることば

愛のうたのようなもの(2007年11月 写真展『LIKE A LOVESONG』より)

大きくても小さくても夢を見続けること
想像の中でいつも自由であること
前に向かって走りながら考えること
苦しくても自分に正直であること
そしていつも自分に問い続けること
ただ透明に見つめていくこと
届かなくても愛を歌っていくこと

大好きな人と離れてしまったり
かけがえのない友と酔っぱらったり
短い旅に出てその何十倍も遠くまで心を旅立たせたり
音の渦の中で夢中で朝まで踊ったり
夜のホームで何本も電車を見送ったり
鳴らない携帯を置いて出かけたり
つまらない冗談を言ってみたり
月夜の散歩を繰り返したり
99%を忘れてみたり全てを抱きしめてみたり

振り向いた時に目に入るまぶしすぎる光
すれ違う人々の靴の色
走り去る子供のつやつやとした髪
白くかすむ夕方の空
生命力を見せてくれる部屋のグリーン
葡萄色の爪をした頼りないつま先
あの海、あの声、あの温度

そんな日々の出来事や感情とは異なる場所に立って
わたしはただ単純にシャッターを切る。
何かを懐かしむ行為でもとどめておく行為でもなく。

追いつけないくらいに速いスピードで更新されてゆく
時間や考えや感覚と
それから少し遅れてついてゆく
時代や想いや感情が
目の前を通り過ぎていくのを
まっすぐに透明に見つめていくだけ。

日々はありふれていて、残酷で
めちゃくちゃに愛おしくて、時々ひどく退屈で
けれど、たったひとつ思うのは、
どんなに格好悪く消えそうな声であろうとも
わたしはそれでも、そんな日々のうつくしさを
うたいつづけていたいということ。

 

グッドモーニング、新しい日(2007年8月 ある日の日記より)

【5番目】
心の中で小さくピリオドをうっていることの数々。
決めてしまえば最後、もう二度と揺らがなければいいのに。
後戻りできませんって証明するような何かがあればいいのに。
たとえばピアスをあけたりタトゥー入れたり、そういうことだけじゃなくて。
荷物を捨てていくのは簡単。まだ見ぬものを拒むほうが難しい。
誓った5番目のピアスホールに触れるのは、もう癖のようなものだけど、
今もうひとつ、ピアスあけたい気分。

【 タトゥー】
その人は波照間島で出会った人で、
夜になっていく空を眺めながら賑やかな店内でひとり、
フーチャンプルーとオリオンビールで夕食をとっていたわたしに、
ものすごくクールに「よかったら一緒にどうですか」と声をかけてくれた人。
肩とくるぶしと鎖骨にタトゥー。
東京から友だちと来ていた、2つ年上の女性。
誘ってはくれたもののわたしにまったく気をつかってなく、それでいて気もつかわせず、
仕事の話とか女30にして思うこととか、そういう話をしてたかな。
3人でがんがん飲んで、帰ることにはすっかり旧知の仲って感じで馴染んでいて、
真っ暗な道を星空眺めながら歩いて、
虫の声に耳澄ましたり、転んで爆笑したり(酔っ払い)。

島、2日目の夜。
星空ライブの後、居残りを命じられたわたしたち。
飲みながら延々と脳みそと言葉が直結したままの会話を重ねた。
突然、最初に泣いたのはわたしだった。
思い出した、というよりも、一気に開いてしまった、という感じで。
それでそこにいた3人で泣いた。いい大人3人が、なんだか泣いていた。
たとえば悲しい思い出や苦しい思いを共有したわけじゃない。
だから、シンパシーでもエンパシーでもない。
ふと無防備になって、
ただそれぞれがそれぞれの中にある固まりに触れた時間。
人生には時々、本当に時々だけど、そういう透明な瞬間が訪れる。
であったばかりの人たちの、人生になにがあったのかは知らないし、
それを語り合うことを必要としていなかったけれど、
それぞれに刻んだものがあることに、当たり前のように気づく。
ふいに生まれたあの空間、フラットな涙。
時々出口を作ってあげてもいいんだな。
明け方、車で送ってもらう途中わたしがもらった言葉はわたしの中に。
暗闇をヘッドライトが照らしていた。

【 暗闇】
出来事の客観的な大きさではなく、
そのことをどんなふうに受け止めたか、どんなふうに抱えているのか。
その闇に、針の穴であろうと光は射すだろうか。
暗闇にいても、手のひらはやわらかく暖かいものに触れているだろうか。
誰かがドアをノックしているだろうか。
村上春樹が書くように、ほんの微かな「汽笛の音」が聴こえるだろうか。
海の真ん中で誰にも届かない声で叫び続けてたり
薄い薄い膜に包まれたまま息苦しさをごまかしきれないでいたり、
歩くリズムが揃わなくてもどかしさを抱えていたり
心が安らかになる誰かの腕の中を探していたり、
そんな君はどうだろう。
切実にそういうことを思う明け方。

【 叫び続ける】
白い景色がいろいろを連想させる。
その白い夏のど真ん中をくらくらしながら毎日歩く。
歩き続けることが、叫び続けることが、うたい続けることが、
証のようになってゆく。
透明な時間になってゆく。
針穴の光になってゆく。

そういうわけで朝が来た。
グッドモーニング、新しい日。

 

「a port」に寄せて(2007年2月 写真展『a port』より)

揺れるボートに乗って大海原を旅している毎日
何も持たない、何にも縛られない、ひとりぼっち波の上
欲しいものは灯台よりも方角を教えてくれるあの星空
次々に港をめぐるような航海の日々

過ぎ去っていく瞬間、通りすぎる人々、薄れてゆく思い出
そこで見た景色、そこで出会った君、そこで憶えた歌
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想いを繋ぐようにいくつもの海を渡って
とある港にたどり着いたとき
ふと気づくことがある
―本当は帰る場所を求めている―

それはかつて見た場所でも、まだ見ぬ場所でも、形のないものでもいい
願う場所に港はあるんだと、この航海の先に少し見えた頃
わたしははっきりと思うだろう
「わたしたちにはみんな、港が必要だ」

それでも迷って、それでも見失って、それでも疑って
こうしてまたひとつの港を目指し始めた頃
わたしはまたはっきりと思うだろう
「帰る場所はそれと同時に、自由に旅立たせてくれる場所でもある」

帰る場所を求めている
そんな愛おしい全ての人に
港を

 

パートタイムのサンタクロース(2005年12月 フリーペーパー『swallow swing station』より)

毎年この季節に思い出す一通のメールがある。
差出人はK君。そこには、サンタクロースの話が書いてある。
クリスマス、銀座通りの交差点。
赤信号で停まったバスの中に目をやると、
その中にはパートタイムの雇われサンタクロースが詰め込まれている。
やがて信号は変わり、彼らはどこかへ運ばれていく。

そんなシーンの出てくるお話。
これは何かの本からの引用で、わたしはそれが何ていう本なのか聞きもしなかったのだけれど、
わたしたちのやりとりはいつもこんな感じ。
読んだ本や聞いた音楽の一節を、今日の予定を昨日の出来事を、
考えたことを思ったことを、いってきますをおやすみをがんばれを、
思いつくままメールに書いてはお互いに送り続けた。
そんなやり取りの中で、日常のささやかな出来事も温度を帯びはじめる。

 もうすぐ誕生日だね、気分はどうだい?
 いつも、何かあるとさびしいことの方に思いがいきます。
 ゆうがた!夕方です。ビール飲んで陽気です。
 澄んでいるじかんを、とてもとても大事に思っています。
 じゃあね、なんとなくの無力感をお届けします。どうぞー。


さて、話は戻って、パートタイムのサンタクロース。
この話の続きは、こう。

クリスマスの賑やかな街の中、どうしようもなく閉ざされていく心を抱えて
故郷への想いを募らせる一人の女性。バスいっぱいのサンタクロースを見つけた彼女は思う。
生まれてから今までに見たサンタクロースたちが、全員で自分を励ましにきてくれたんだと。
思わずバスをじっと見つめる。それに気づいて、バスの中から彼女に手を振る何十人ものサンタクロース。
その一瞬に、世界がキラキラと輝きだす。
それはパートタイムのサンタクロースたちからの贈り物。

K君とは、ある日忽然と消えてしまったみたいに連絡をとっていない。
 「いつでもいつまでも、ふつうに見ててな」「100年の保障付だ」
彼は、ちょうど今ほしい言葉をあたりまえの顔で口にする天才だった。

K君のメールも存在も、どこかで物語的だった。
けれど、わたしたちはお互いに、その背後には嫌になるくらいのリアルな生活があることを知っていた。
だからこそ、輝くフィクションであり、愛おしさを増す物語。
日常の決して美しいだけじゃないリアリティーを、物語にして伝えることができる人たち
――― 彼らは物語の中で生きているんじゃなく、ただ、物語にできるさみしさとクールさと暖かさを持ち合わせているだけ ―――が、少し悲しくほんのりやさしく、どこかで誰かを幸せにしている。
それはフィクションでも、パートタイムでもかまわない。
K君でもサンタクロースでも。そこに事実ではなく、現実や、真実があるから。
そんなものがわたしたちの周りにはいくつも散りばめられている。

ある冬の一場面を伝える一通のメールが、それをやさしく教えてくれた。
      
                      
                     2005年 クリスマスを目前に


99sunset,100sunrise(2005年9月 写真展『99sunset,100sunrise』より)

小さなボートに乗って
いつも果てしなく広い夜の海にいました。

そこからは、たったひとつだけ星が見えました。

すべてが闇に飲み込まれる瞬間を何度も越えてきました。

それから
この小さなボートの上で
いくつもの美しい夜明けを迎えました。

この航海が素晴らしいのは
それを繰り返してきたことです。
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星は闇の中でかけがえのないものとして
いつも胸を締めつけながら微かに光り続け、
いつかそのかけがえのない星さえも
闇と共に光の中に溶けてゆく。

また闇がやってくれば、きっとどこかで光る星に気づくでしょう。
こうしてかけがえのないものは変わっていきます。

だから、やっぱりこの人生が素晴らしいのは、

たえず時間が流れていること
入れ替わりながら続いていくこと
そして
繰り返していくことだと思います。