【knock and knot】
episode 12 :「2017→2018」

2017年がもうすぐ終わる。
無事にゆっくりと暮れていくことに感謝を。

この「暮れていく」という感覚が、思いの外好きだったりする。
日が暮れるのも年が暮れるのも、なんというのか、
ほっとするような、すんとしてと落ち着くような感じがして。

あと数時間もすれば、夜が明けて年が明けて、
その「明ける」が連れてくる清々しさに、背筋を伸ばしたりするんだろうな。

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一年間毎月一回この『knock and knot』をなんとなく書いてきて、
書き始めた時は何を考えていたんだっけな?と思い返してみる。
それなりに「こうありたい」とか「これをやりたい」とか目標や思いはあったような気もするけれど、
何も決めず何も課さずに、流れるままに受け入れることを選んだ2017年。
目の前のことにどんなふうに反応できるか、今をどう生きるか、どう楽しむかという一年で、
落ち込んだり諦めたり体調崩したりもあったけれど、何だか良いことばかりを思い出す。

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大きな川のイメージがずっと頭の中に浮かんでいた。
川幅が広くてたっぷり水を湛えた、ゆったりとした川のイメージ。

多少のつまずきや進路変更はあれど、
川はあまりにも広く長く、結局はその流れの中を逆らえない大きな力に沿ってゆく。
それでも意志や言葉の力を信じてみたりしている。

思い描いた理想の場所にたどり着いたのかを答え合わせして落ち込むより、
たどり着いた場所がどんな場所なのかと不安になるより、
どこにいくのかはその時のお楽しみだと、私の本気の今の積み重ねのひとつがここなのだと、
そんなふうに。

さあ、やってこい、2018年。
わたしはすべてをやわらかく自由に迎え撃つつもりなので。

川は、いつか海へ。

2017年12月31日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 11 :「1996」

11月も終わりに近づいて、今日もまた着地点を決めずに書き始める。

体調不良の中で不本意ながら仕事ばっかりしていた気分の秋を経て、季節は冬へ。

毎年ちょうどこれくらいの季節に見頃の山手幹線沿いのプラタナス並木、
今年は台風で美しく色づく前に散ってしまっていて、それだけがいつもと違う冬の入り口。

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先日、10年前の秋に千秋楽を迎えた『 TAKEOFF ~ライト三兄弟~ 』という舞台のDVDを、
劇場のスクリーンに映して生解説するという副音声ライブイベントが
その公演の初演初日の会場だった新神戸オリエンタル劇場であって、運よく観に行くことができて大興奮だった。

もちろんその作品が大好きなのだけれど、この副音声ライブの何が嬉しかったのかと言うと、
10年前の作品をただ懐かしんだり美化したりする懐古主義的なものではなくて、
今この瞬間に本気で興奮して、おもしろがって楽しんでいる感覚で。

10年も20年も前から好きなものの「今」に進行形で触れては、心から楽しんでいる。
それは格別にうれしくておもしろい。
今年は、そんな体験をする機会が多くてすごく幸せだと思う。

そう、そう。

今、今、今! そうやって、未来に進んでいる...!

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結局、単純に「好きなものは変わらない」と言うことなのかもしれない。

美しく色づいた葉っぱが好きで、その落ち葉の上を歩くのが好きで、
好きだった景色は今も好きで、好きだった曲は今も好きで、感動した作品は今も好きで。

だけど、10年20年の時間を越えてこんなにも心に響くものは、
ただ単純に「好きなものは変わらない」からじゃなくて、しっかりと今も更新されているから。

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最近よく思うのは「同じ時代に生きている」ということに対しての喜び、感謝、感動。
10年20年好きなものの今に触れてはドキドキワクワクさせてもらっていることを心底うれしく思っている。
人生たかが80年くらいで、
その中で出会ったり好きになったりして、感動したりおもしろがったりしていて。
それがリアルタイムなんて、幸せなことだ。
更新されていく、まだこれから新しいものが蓄積されていくという可能性をはらんでいるも、
同時代性の持つ興奮なのかな。
今この同じ時に生きているって、それで同じもので笑ったり感動したりしてるって、すごくない?

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通り過ぎていくのも、美しさ。過ぎ去っていくのも、美しさ。
降り積もっていくのも、美しさ。

そこに、未だ見ぬものの美しさに対する胸の高鳴り。

さあ。楽しみ尽くしてやる!がモットーの今年のラストスパートに入る。
タイトルの「1996」は、わたしたちのオリエンタル記念日の年なので。

2017年11月26日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 10 :「2012」

今年の秋は雨ばかりの印象。今日も雨。
最近は雨の日も好きだけど、それでも陽の光が恋しい。

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自分では気づいていなかったのだけれど、
「それは光」という写真集を出したのが5年前の10月。
そのことを、発売日の10月1日に友だちが教えてくれた。
うれしかったのは、覚えていてくれたこと、知らせてくれたこと、
たくさん思い出させてくれたこと。そして、友だちがいること。

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あの写真集は、その前の年から続くどうしようもなく苦しい気持ちから
どうにか抜け出したくて立ち直りたくて作り始めたのだけれど、
作りながら逆に自分をどんどん追い詰めてしまった。
発売記念展示の時には本当にもうどん底のひどい精神状態で、ギリギリの淵に立っていて、
在廊していても勝手に涙が出てどうしようもなかった。
生きてるのか死んでるのかもわからなくて、ずっと薄い膜に包まれている感じで。

ただ、その絶望の中で、
青く晴れた空や金色の陽射しや色づきはじめた木々...とにかくその年の秋が美しかったことと、
やっぱり友人たちが底なしに強くてやさしかったことだけが、やけにくっきりと残っている。
そういうのも全部思い出して。

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そんなふうに思い出したことを引き連れて、
先日、雨の中、大神神社まで秋の遠足に出かけた時のこと。
静けさの中でゆっくり息をして、
なんとなくずっと同じように灯っている、祈るような気持ちに気がついた。

「それは光」は、やっぱり「それは光」だったんだ。

5年経って勝手に一人で納得して、それもすごくうれしかった。
あの写真集を作れてよかったんだと思った。

2017年10月29日 栗原葉子

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【knock and knot】
episode 9 :「1997」

9月も終わり。
毎月言ってるけれど、1ヶ月過ぎるのが本当に早い。

時間が過ぎるのが早い、と思うようになったのって、いくつくらいからだったんだろう。

行き止まりの日々はなかなか去らなくて、
夏休みは全然終わらなくて、
遠足の前の夜は眠れないまま朝が遠くて(楽しみでではなく憂鬱で)
その先は永遠にやって来ない時間みたいに感じていたこともあったのに。

ああ、今でも朝は遠いかもしれないけれど。

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6、7、8月に続いて9月も少しだけ旅に。
知らない街を知った顔してがんがん歩いている自分に久しぶりに会って、
驚きみたいなものと妙に胸が締め付けられたのとふわっと軽くなったのと。
それはとても素敵な体験だった。

そして。
とにかく暑くていっぱい汗もかいて、でもふと見上げた空はもう秋の気配で、
空港で眺めた夕暮れは完璧なまでにせつなく美しくて、そう、本当に完璧なせつない時間だった。
その完璧さにちょっと感動さえしていた。とてもシンプルに。

そういえば、切ないという気持ちも、いつから知ったんだろうな。
なんてことを考える秋。

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日常は「色々あるんだよ」と言いつつ、結構同じ場所をぐるぐるしている感じで、
その中で、旅に出なくても「いつもの自分じゃない自分とふと出会う時間」を持とうとしているのかもしれない。

自分じゃない自分、というか、自分とばっかり向き合わない時間、というのか。
そういう時間が取り戻させてくれる正気というのか心の平穏というのか。

例えば、海、水族館の大きな水槽、遠くの山並み、最近は大阪城なんかをぼんやりと眺めている時間、みたいな。

ここのところ体調が良くないまま回復せず、家でおとなしく過ごしているあいだにひたすら音楽聴いていた。
それはそれでとても楽しくとても平和で。
家がとにかく安心の場所として存在している。

でももしきっと、自分の思考とだけ向き合いつづけてしまったら、
それが家であれ海であれ大阪城であれ、不安でこわくてつらい場所にもなりうる。

わたしにとって、お酒のんで音楽きいてるとかは、たぶん、
自分以外のものとわかりやすく繋がる、自分以外に気づいて意識を向けるツールなのだと思う。

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今回の年号は悩みに悩んで「1997」に。
自分以外の人を、本当の意味で自分の人生に登場させたのはこの頃かも、なんて思い出して。

2017年9月25日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 8 :「2009」

最後の夏休みを取って、夏が終わっていく体感にちょっと切なさを増しています。
毎年毎年思うけれど、夏が駆けてゆくスピードは何でこんなにも速いんだろう。
勝手に「置いてけぼりくらっている」気分になるのもいつものこと。

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苦手なものの一つに「自分の誕生日」というのもあって、
お正月とか新学期とか新年度とかが苦手なのと同じ理由。
新しいこととか区切りとか始まりとか、
新鮮じゃないといけないとか、幸せでないといけないとか、
意味を持たせてしまうとプレッシャーに負けてしまうので
なるべくあんまり考えないように構えないように、特別にしないように、
そんなことばかり考えている。

今日も明日も、365日、普通の、何でもない、ありふれた日が続けばいいな。

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今年も無事に誕生日を迎えて、ひとつ歳を重ねて、
とはいえ今年はとても普通におだやかな気持ちのまま過ごしています。

若い頃はもうずっと長い間、
自分自身とだけ見つめ合っている感覚とか
もうどこにも行けない感覚とか
そういうのに勝手に息苦しくなっていたけれど、
この夏に体験したあれこれのおかげもあって、改めて、

どこかとどこかの途中にいる、誰かと誰かのあいだにいる、
何かと何かが繋がっていると、ずっと途切れることなく続いている

結局自分自身なんて取るに足らない小さな存在ではあるけれど、
だけど何かの大きな流れの中で自分の手足で自分のやり方でこの毎日を生きている

そういうことをしっかりと感じられて、とても満足していて、落ち着いた気持ちがしている。

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わたしの本質なんてものはずっと変わらなくて、同時にゆるやかに移ろっていて。

誕生日月なので今月のタイトルは生まれ年の1978にしようと思ってたけれど、
変わらず、移ろい、そして繋がっているということで人生の途中の2009年に。

このあいだたまたま2009年のある日のブログを読んだら止まらなくなって、
その一年の日記を全部読み返してみたら色々と感慨深くて、
過去も現在も、もしかすると未来も肯定できると思ったこととか
この年の誕生日が生涯忘れたくない程本当に本当に最高に幸せだったこととか
この年にそれまでを振り返るように『1978』というタイトルの写真展を開催したこととか
そういうのを含めて。

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どの8月にも、遠い自分ではなく、あの日あの時その場所に一生懸命に立っていたわたしがいる。

2017年8月28日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 7 :「1992」

いてもたってもいられなくて駆け抜けようとするのが夏。
終わってほしくないから置いてけぼりくらいたくないから、
とにかく思いきり走るのが、いつもの夏。

そんなわけで、空気が入れ替わって夏を迎え、7月の過ぎるのが早かったこと。

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先月この「knock and knot」を書いてからの1ヶ月ちょっとの間、何だか楽しい気持ちのまま駆け抜けられて、
ややバテつつも、今年の夏は何だかいい感じに進んでいる。
東京まで撮影に出かけたり、きっとずっと覚えていくだろうライブやこの先何度も思い出すだろうライブを観たり、
友だちに会うために旅に出たり。
ワクワクする気持ちを大切に、しっかり心揺らしてしっかり感動して。ビールもいっぱい飲んで。

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中学2年生の7月、はじめて夏の野外フェスなるもの体験し、
「こんなに楽しくてこんなに幸せ場所がこの世界にあるのか!」と衝撃を受けて、
しばらく熱に浮かされたようになってしまった。ハッピーすぎて夢かと思った。
今でもその後遺症を引きずっているのかもしれない。どこかでその熱を持ったままで。

あれは何だかいろんなことを教えてくれたんだと思う。
世界を広げてくれたのだと思う。
それってもしかすると過去形ではなくて、緩急ありつつも現在進行形なのかもしれない。

胸のどこか奥で下がりきらないままの小さな熱が、今も世界を広げつづけてくれている。

今やこれから先、あの時と同じようには過ごせなくても、あんな胸の痛みを伴わなくても、
同じようなかけがえのない季節を過ごすことはできる。
そんなことも分かるようになった。

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今年はそんな年なのかもな。
取り戻したり、思い出したり、また始めたり。

後悔しないように、生きているうちに、会いたい人に会いにいくし、行きたい場所にいくし、やりたいことをする。
そう決めたことも、しっかりと思い出した。

2017年7月29日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 6 :「2007」

思い出が苦手、みたいなことを今までに何度も書いたことがある。

それは、つらい悲しいさみしい記憶を思い出したくないというよりも、
息もできないくらいに楽しくて幸せな記憶を思い出して、
その宝物みたいな時間がもう戻らないことがせつなくて苦しくて
打ちのめされてしまうことが怖いから。

ふとしたことで温度も湿度も感情までも詳細に思い出して体感してしまうので、
あっという間に思い出の中にうずくまってしまう。

こんなふうに思い出に引っ張られすぎてしまうその要因の一つは、
記憶と音楽を強く結びつけてしまうからだと気がついた。

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10年前、仕事を辞めて沖縄にしばらく滞在した時のことをよく思い出す。

沖縄をはじめて訪れたのはその1年前の6月、人生の中でへとへとに疲れ果てていた時期で、
短い滞在のあいだに自分がほどけて充電されていくのが本当によくわかった。
それから沖縄はわたしにとって特別な場所になった。

2007年沖縄での日々、時間。
その時のことは、その時に聴いていた音楽とぎゅっと一緒になって染み込んでいる。

ちょうどその年、細野晴臣さんのクラウン盤のBOXが出たりトリビュート盤が出たりで、
とにかくあの頃みんなでちょっとした細野さんブームみたいになってずっと聴いていた。
中華街ライブのDVDも何回も観て、浦添の図書館で著書も借りて(みんなで「宵待草」観たのもこの時?)
そこから繋がっていく音楽もたくさん追いかけた。

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心がへとへとの時に沖縄に出会って一旦救われたのだけれど、
その数年後いろんなことが重なって、勝手にいっぱい傷ついて上手く生きられなくて壊れてしまった時期がある。
その時から、お守りのように聴いていた音楽を、楽しい記憶に繋がる音楽を、大好きな人の作る音楽を、
まったく聴けなくなってしまっていた。

幸福で特別な記憶や大好きな人たちに密接な音楽ほど思い出すことが怖くてずっと聴けなかったのだけれど、
最近、いくつかのきっかけで、そのあたりの音楽をさらっている。

それがとてもとても楽しい。

戻らない時間を想って切なさに打ちのめされることなく、
今のわたしが、今この瞬間で、純粋に感動したりワクワクしたりしている。

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記憶の海は繋がっている。音楽と結びついたまま。
その中に覚悟を決めて飛び込んでみてやっと気づいた。
思い出をもう怖がらなくていい。いや、はじめから怖がらなくてよかったんだと。
楽しいことは怖くない。
そういうことをもう一回信じられて、やっと、今をすごく楽しいと思えるのが嬉しい。

見なくても泳いで進めていたんだな。見えなくても繋がっていたんだな。

さあ、また海へ。

2017年6月18日 栗原葉子

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【knock and knot】
episode 5 :「2000」

世間でいうところの大型連休、ゴールデンウィークの最終日の夕方、
内容もゴールも決めずにだらだらと書きはじめています。

部屋の電気は付けずに、窓を大きく開け風を通し、白いカーテンが揺れています。
そして小さめの音量で気持ちのいい音楽を流して、時々ゆらゆら踊りながら、ビールを飲んでいます。

最高。完璧な5月の夕方の過ごし方。

というわけで、あんまりにも気分がいいので、とりあえず書きはじめています。

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このあいだ、5月の空がこんなにもどこまでも青くて5月の木々や草がこんなにも鮮やかな緑で
くらくらしてしまうものだっていうことを、結構久しぶりに思い出した。

空が痛いくらい青い日なんていくつもあったのに、その度にいろいろ思って見上げてきたはずなのに、
その日に限ってはある年の5月1日の空の青さと緑の濃さをはっきりと思い出させて、
そのことに随分驚いてしまった。

多分、日差しの強さも気温も立っていた場所も、近いのかなあ。

-

あたりまえだけど、随分といろんな5月があった。
今でも印象が鮮烈なのは、
傷心だったり無職だったり混乱の渦中だったり絶望に浸っていたりしていたそれぞれの年の5月。

そのことばかり思い出すので「印象が鮮烈」って書いてしまったけれど、本当はその真逆で、
どれもなんとなく薄い膜に包まれているような、どこか夢みたいな、そんなふうに感じているわたしがいつもそこに立っている。
いろんなものの鮮やかさの中で、際立つ自分自身のふわふわした感じ。それはぜんぜんくっきりなんかしてない。

あれ?
今思うと、5月の思い出せる限りすべての記憶は、全部夢見たいで嘘みたいで水の中にいるみたいかも。

芝生の上ではしゃぎ回る、カラオケからのラーメン、とろりとした甘いレモンティー、夜中のラジコンレース、
音の渦の中朝まで踊る、とまらない咳、海、涙。

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音楽が流れていて、お酒をのんでいて、気持ちのいい風が弱く吹いていて。
なんかあったな、前にもそんなこと。
きっと数えられないくらい何度も何度もあったよな。

そのたびに、そのことを誰かに言いたくて、誰かと共有したくて。

あー、なんか中身も意味なくだらだら書いちゃった。
でもそれが今したかったことかも。

2017年5月7日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 4 :「1985」

始まりの季節、4月。そして最も苦手な季節。

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環境の変化が苦手、新しい状況で見通しが立たないのが苦手、
キラキラしてどんどん成長するのを期待されているような空気も苦手、
求められるのも苦手、自分をアピールするのも苦手。

という感じなので、小学校入学が試練のはじまりだった。
どうしていいのか分からなすぎてほとんど記憶がない。もちろんうれしかった楽しかった記憶なんて皆無。
(入学のお祝いに、ファミリアの刺繍がはいったブラウスとタータンチェックのスカートをもらってドキドキしたのは覚えている)

大人数が苦手、元気に走り回るのが苦手、思っていることを伝えるのが苦手、無邪気に笑うのが苦手、甘えるのも苦手。

きらいだったなあ、小学生。行きたくなかったなあ、小学校。

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Tちゃんが昔、まったく興味がなかった(というかむしろ大嫌いだった)野球を、阪神タイガースを熱狂的に好きになってしまった時に、
それを「小さな革命」と言っていたけれど、そのとおり実は結構な頻度で「革命」は起きているのかもしれない。

書き連ねたわたしの苦手のいくつかは、いつの間にかそうでもなくなっている。

年を重ねるにつれ、苦手と思うことが減っている感じがするのは、
苦手なものがよりくっきりはっきりとして、うまく避けてかわせるようになっただけかもしれないけれど、それはそれで革命的。
ましてや、予想外想定外の「嫌い→好き」の振れ幅に驚くなんて、中身はくだらないことばかりだけれど結構たくさんある。

「自分のことくらいなら全部わかっています」って顔をしながら、ふいに、そういうのを飛び越えてしまうことがある。
きっとまだまだこれから先もあるのだろうな。

これから真逆を好ましく思うこともあるだろうし、すごく意外なことにはまるかもしれない。
たとえば運動とか身体動かすとか無縁の人生だったけれど急にスポーツ始めちゃったりするかもしれない。
でも、ダンスはやりたい踊りたい(これはずっと言っている。いつも心で踊っている)
あと、泳げないけどサーフィンしたい(これもずっと言っている。きっと来世でやる)

こんなふうに、分かったつもりで決めつけてきただけのことも、どんどんほどけていくかもしれない。

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あんなに新しいことが苦手だったわたしも、今や、新しいこととか始まりとかを結構楽しもうとしている・・・?

革命、またひとつここに。

「日々は、そう、革命だ。おだやかな、革命。」

Tちゃんの革命の話を聞いた時のわたしの言葉。
ぐるっと一周回って返ってきた感じがする。

なにかのはじまりは、いつかのはじまりと螺旋でつながっている。

2017年4月23日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 3 :「2002」

スーパーで春キャベツを見かけるとなんとも言えない気持ちになるのは、
一人暮らしをはじめたのが3月1日だからかもしれない。
その自炊生活超初心者の時は、しばらく毎日春キャベツを食べていたから。

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おおげさな言い方かもしれないけれど、自分の力で自分の足で歩きはじめるんだと思えたひとつが
一人暮らしを始めたときだと思う。

自分で稼いだお金で自分の生活を面倒みる、ということが、その意味が、
わたしにとってはとてもとても大切だった。人生最初の最大のミッション。

「(お金も出さないけど口も出さないので)全部自分で決めなさい」
「高校までは面倒みるけど、その後は自分の力で生きていって」
という半分呪いのような言葉を小学生のときから与えられ、そのことをずっと本気で考えていた。
どうすれば生活するお金を得られるかなあとか、今のうちに勉強はできるだけしておいた方がいいなあとか。
自分のやりたいことをするのは自分で稼げるようになってからすればいいんだ、とか。

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就職してはじめてのお給料をもらったときよりも、
自分で部屋を探して自分で部屋を借り、わたしにすべてがかかっているわたしだけの小さな生活をはじめたときに、
やっとスタートラインに立てたと思った。やっと自由になれたと思った。

確実に、あの3月1日からわたしはわたしの人生を、本当の意味でやっと歩きはじめたんだ。
大切な大切な転機の日。
わたしだけのための小さな部屋を、わたし自身で折り合いつけて守りつづけることが、
イコール「生きていること」くらいに思っていたし、今でも割と真剣に思っている。
それくらいに一番大事なことだった。

そういう意味で言うと、わたしの人生なんてまだ始まって十数年。
成人式さえも迎えていない。半人前もいいところだ。

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「大切なのは自分で決めたかどうか」って言葉をいつかの写真展のときに書いたことがあったけれど、
それは、わたしの根底に、もうどうしようもないくらいに根本に、ずっとずっとある気がする。
あの呪いのような言葉と同じくらいに、その言葉が最後には支えてくれているかもしれない。

今でも自分で選んで自分で決めたと思うと、なんだって結構踏ん張れたりするもんな。

小さな揺れるボートで海に出る、行き先もその先に安住の地があるのかもわからない。知っているどこかを目指さない。
それさえもわたしが「選んだ」こと。そう思うと、選べるってすごいことだ。

春、3月。どんどん進んでいこう。

2017年3月20日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 2 :「1994」

2017年2月はとにかく言葉が必要でその渦の中にいたい時だったのか、ひたすら活字を追ったりあらゆる言葉を浴びたり。
それに刺激されてあちこちに書き散らしていたので、すっかりここにも書いた気持ちになっていましたが、
なんだ、何も書かないまま2月も終わりの日。

この『knock and knot』のコンセプトのひとつは、とにかく「思いついたまま気軽に気楽に書く」ってのもあるので、
どこに着地するかわからないままに、とりあえず書きはじめています。
(感情のエネルギーを健全に発散したいが故に)

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先週はあの方の19年ぶりのシングル発売というニュースが世間をにぎわせていて、
例に漏れずわたしもすっかり浮わついて、いつぶりだってくらいのキラキラした感覚をめいっぱい味わっていました。

逸る気持ちを押さえきれず発売日にCDショップに駆け込んで急いで家に帰って
ドキドしながらプレイヤーにCDを載せて震える指で再生ボタンを押して。
ひとつひとつの音の粒を浴びて、ひとつひとつの言葉に耳を澄ませる。
今でもまだこんなふうにキラキラした音楽の魔法にかかってしてしまうのか!と感動でもありました。
中学生のころみたいだ。
あの日と全然変わってないこの感じ、この感覚、この感動。

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先日これまた久しぶりにライブを見たYさんが、以前、
「この10年での一番の変化は何でしたか?」
という問いかけを宿題のように与えてくれて、それに対するわたしの回答は
「わたしの生活にも人生にも何にも変化がないことを(そう思っていることを)、ちょっとコンプレックスに思ってたりしてます。」

それくらい、わたしの人生に何があっても何がなくても、10年どころか20年でも、
結局「変わらない・変わっていない」ことに絶対的な自信というのか自負があった。

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とはいえ。
あたりまえのように人生の中では、
劇的な出来事とか衝撃的なインパクトとか、ともすれば価値観がひっくり返るような大きなことももちろん少なからず起こっていて、
その都度あたふたおろおろしたり茫然としたり、新しい答えが見つかった気持ちになったりしてきた訳だけれど、

それでも実際のところ、わたしの人生というのは、大きな出来事でぎゅんと進路変更してしまうというよりは、

落ちていることにも気づかないくらいに本当に小さな小さな石にこつんと当たって、
気づかないうちにほんの少しだけ進路が変わっていて、いつの間にかここにいるような感じがすごくしている。

たとえそれがほんの小さな石であっても、やっぱりそこには意志の力も受けた衝撃も、
それまでに出会ったあらゆるものや体験したものの存在も影響もしっかりあるととても感じていて。

そうして思う。

あらゆることは「出来事」としてわたしの外側にあるのではなくて、
もはやわたしの中に「一部」みたいになって、それを含んだわたしのバランスなり重心なりが影響して
小さな小さな石に弾かれたときの進路を左右している。

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先日CDを買いに急いで、胸が焦がれるような中学生のときと同じような感覚を味わいながら、
ああ、そういうことかと思った。

変わるとか変わらないとかそういうことではなくて、

やっぱりずっと枯れることなく、流れている川のようなものだな、と。

いつかは否応なく海に出てしまうことも含めて川のようだと。

途切れない、飛び越えない。あらゆるものを包含しながら、今ここに在る。

間違いなく、わたしも今のところ産まれたときからずっと在り続けているものな。
ずっと生きている、それは事実。疑いなく、どこかと何かといつかとずっとつながっている。

-
今回のタイトルを『1994』にしたのは、
今のわたしと地続きになっている、キラキラするものの存在に気づいたわたしがいる愛おしい90年代、
そしてあの「LIFE」というアルバムが出された年ということで。

2017年2月28日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 1 :「1981」

多分、誰でも「自分の一番古い記憶」について考えたことがあると思うのだけれど、
わたしのそれはなんだかもうはっきりせず、
特に幼少期に鮮烈な光景も強烈な体験もなかったからなのかもなあと思ったりしている。

わたしがもうすぐ3才というときに妹が産まれたのだけれど、
母親が家にいない日があったとか病院まで母や妹に会いにいったとか、
家に赤ちゃんがいる光景も赤ちゃんがやってきてどうこう思ったとかの記憶もないので、
年子の兄が生きていれば、そのときのことを覚えてるのかどんなふうに思ったのか
聞いてみたかったなと思う。

とにかく。
親に構ってもらったとか遊んでもらったとか、甘えたなあとかさみしかったなあとか
そういう記憶すらないので、実際はともかく、ただ音も色もなく静かに流れていた時間だったような気もしていて。

でもひとつだけ。幼い頃に繰り返しみていた夢のことだけは、今でもくっきりと思い出すことができる。

 菜の花畑の丘の前にカラフルなアイスクリームワゴンがあって、誰もいなくて、
 はっと気づくとそれは黒いタイヤの山になっていて、
 またはっと気づくと、窓ガラスに付いたたくさんの水滴が目の前に迫っていて。
 その夢を見て目を覚ます度に、夜中ひとりで声を殺してしくしくと泣いていた。

確実に、「ひとりぼっちだ」と思ったのは、あの夢を見始めた頃が最初だと思っている。
わたし産まれてきてよかったのかと思って泣いたのは、あのときが最初だった。

今ではもうその夢を見ることもなくなったけれど、
中学生くらいまでは定期的に見ていたので、どんどん印象が濃くなっているのかもしれない。

本当に本当に、しんと静かで、誰もいないようなところにぽつんと立っていて
わたしの自我が始まったような気がしている。
わたしって?という問いかけ地獄のはじまりはじまり。

そしてここから先に少しずつ、生き抜くために、わたしは後天的に無邪気さやばかばかしさを身につけたのだ。
どんどんばかばかしく、くだらなく、自由になっている気分。

いいもんだね、歳を重ねるって。

2017年1月22日 栗原葉子


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【knock and knot】
episode 0 :「2017」

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突然ですが、2017年は文章を書いていこうと思います。
エッセイみたいなものを。

昨年は、望まない風向きを全然どうすることもできないまま、
すっごく踏ん張って頑なに閉ざしてとにかく吹き飛ばされないように必死だったけれど、
その嵐が一旦弱まった時、それはそれは本当の凪で、なんだか一気に解放された気分でした。
いろいろ防御していたものが吹き飛んでしまったようで、
ここ何年なかったくらい、今、心がぱかーっと開いているような、そんな気がします。
だからなのか、とにかく「書きたい!言葉を発したい!」という欲求がとても高まっています。

-
子どもの頃から書くことが大好きでした。

小学3年か4年生の時、何かの物語の続きを自分で考えて書く、みたいな授業があって、
それがとにかくもう楽しくて何枚も何枚も次々書いて、それを先生がすごくほめてくれて、
そこから何かと文章を書く役割が回ってくるようになった。とにかく何かしら文章を書いているのが好きで、
小学校高学年になるとノートに小説を書きはじめ、
中学生や高校生になると、それこそエッセイみたいなものを次々ノートに書いていた。
日記も毎日びっしり書いていたし。

写真を撮るようになってからは写真の比重が高くなり、写真と言葉の作品を作ってはいたけれど、
それは“写真のための言葉”という感じだったかも。
とはいえ、往復書簡とかフリーペーパーとか、テキスト主体のコンテンツも作ってきたよな・・・。
そう考えると、今さらながら、書くことはずっとわたしの近くにあったなあと思う。

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書くことは、言葉は、ふつうにあたりまえに日常の中にあるものなので、
あんまり力入れずに、身軽に気軽にどんどん書きたいなあと思って、これを始めてみようと思いました。
『物語る風景』という写真と言葉のコンテンツもやっているのだけれど、
あれは先ず写真を撮ってそこから浮かんだ文章を書いて、という順番なので写真ありきであるのと、
写真撮ってセレクトして手書きでテキスト書いてスキャンして、ページつくってサイトにアップして・・・
というふうに、実は結構手間がかかるのです。やるならちょっと気合いが必要。

なので、こっちでは言葉だけにして、思った瞬間に書きたいという希望を叶えるべく、
おしゃべりする感じで、雑談みたいな感じで、綴ってみようかなと思っています。
(前はそういうのブログでやってた面もあるけれど、ブログはあくまで日記の位置づけなので。)

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さて。
そのゆるく気ままに書くエッセイのタイトルは「knock and knot」にしました。
特に意味も含みもないのですが、年明けすぐに思い浮かんだので。

ただ、その後ろに「1978→2017」と書いてみた時、
なんだか結構長い時間だな、なんとなく一旦区切るにはいい感じの数字の並びだなと思って。
これって実際は39年間だから決して切りは良くはないのだけれど、
ここから先は次のステージになって、そこでもう一度0だか1だかになる感じなのかも、と思いました。
なので、そういうのをちょっと意識して書いていくかもしれません。
今のところは。

というわけで、どうなっていくかわかりませんが、それも含めわたしはとても楽しんでいます。
よければお暇なときにお付き合いくださいませ。
「knock and knot」、どうぞよろしくお願いします。

2017年1月9日 栗原葉子

 

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